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帯日子考

ー帯山城と倭王名ー

古事記のタラシヒコ

日本書紀や古事記には、天皇名としてタラシヒコを含むものが多く現れます。 隋書は開皇二十年(600年)に使者を送ってきた、倭国の王の姓を阿毎、字を多利思北(比)古としています。 恐らくタリシヒコと読むのでしょう。 日本書紀のタラシヒコとはやや異なりますが、同一の語を表すのでしょう。

ところで古事記ではこのタラシヒコを帯日子と書きます。 なぜ帯日子でタラシヒコと読めるのでしょう。 馴染みのある日本漢字音ではそんな風に読めそうもありません。

古事記や日本書紀、万葉集等の奈良朝の文献で、日本語の発音を漢字で表したものに、万葉仮名があります。 この万葉仮名は大変重層的で、中国の複数の時代に跨る漢字音が現れています。 その中でも最も古いものは、日本書紀の百済系文書や、推古期遺文と呼ばれるものに現れていて、時に古韓音とも呼ばれます。 古韓音は朝鮮半島に残された、古い方言音が基になっているとも考えられています。

実は帯の読みは日本漢字音ではタイですが、その古い漢字音では末尾に子音が来ていたようなのです。 水谷真成氏の上中古の間における音韻史上の諸問題では、経典の音写を通して漢字音の検討をされています。 下記は釈迦の弟子の梵名ウッタラ(Uttara)と言う名前が、どのように漢字であらわされていたかの例です。

優多羅 呉・支謙訳 選集百経録 223年〜253年 訳
     三秦・失訳別訳「雑阿含経」 250年〜431年 訳
  優多羅 東晋・僧伽堤婆訳「中阿含経」 397年〜398年 訳
  優多羅 宋・求那跋陀羅訳「雑阿含経」 435年ー433年 訳
  鬱多羅 斉・僧伽跋陀羅訳「善見律」 489年 訳
  嗢怛羅 唐・玄奘撰「大唐西域記」 649年 成立

これを見ると多羅怛羅の位置に現れています。 はtalの様に聞こえる音であったと考えてよいでしょう。 実はを含む去声調の文字には、tdszなどの舌音系の子音が最後に来ていたとされています。 lnなども比較的近いと思われます。

ここでこののtalと言う読みが、朝鮮半島系の漢字音、すなはち古韓音に反映されていたかどうかを確認しておきましょう。 日本書記の顕宗紀には、帯山城と言う地名が出て来て、これに対して古訓としてシトロモのサシが振られています。 山に付いてはムレ、城に付いてはサシと言う韓訓が知られており、シトロムレサシの訛りであろうと思われます。 そこからをシトロと読んでいることがわかります。 恐らくは本来タルと読まれ、タルムレサシに何らかの接頭辞シが付いた、シタルムレサシの訛ったものが、シトロモサシでしょう。

帯日子が古韓音の樣な古い音を反映していたとすると、帯日子はタルヒコないしタリヒコの様に読めることになります。 これが帯比垝の樣な、非常に古い表記の名残であるとすると、隋書と合わせてタリヒコからタリシヒコ、そしてタラシヒコへの変化をたどることが出来るかもしれません。

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